多数決
- 2025.03.31
何となくですけれども。日本においては、多数決が過剰に神聖視されているような気がします。
多数決が最も信頼できて平等な方法だと誤解していませんか?大前提として、多数決は「その結果の正しさを担保されていません」。「比較的多くの人が納得できる」だけです。多くのリスクやデメリットをはらんでいます。多数決をする集団、その議題、採決方法などで話が複雑化しますので、いったん国政について門外漢の私見を述べます。
ざっと思いつくだけでも・・・
『多数決は感情的に決まりやすい』
『全員、何らかの少数派に属している』
『誰も責任を取らなくて済む』
などのリスクがあります。いくつか例を挙げますと。
もしネット投票などの方法で国民投票で決めることができたら。きっと。「消費税は撤廃」されるでしょう。「医療費は無償化」「教育費は無償化」「高速道路、全線無料化」されるでしょう。「大企業への課税強化」「年金支給を倍額」も決を採れば恐らく。「国会議員の人数は5分の1」くらいになるのではないでしょうか。「日本全域の水道管一斉入れ替え」「原子力発電所一斉停止」の可能性も。「核兵器保有」「北方領土・竹島を武力で奪還する」「気に入らない国と国交断絶」「発展途上国への支援は一切しない」なんてことが決まってしまうかも。・・・そろそろ、多数決で決める怖さを感じてもらえましたでしょうか。
あるいは、「医者は高所得者なんだから税率を上げよう」等の多数決を採れば、医者の人口比率は0.3%以下ですから勝てるはずもありません。そしてそれは、どんな立場の人でも同じです。農家でも、芸能人でも、理容師でも、不動産業でも、誰もが少数派ですから多数決を採れば負けてしまいます。やられたら、やり返し。自分が多数派に属した時に少数派を叩けば、自分が少数派になったときに叩かれます。・・・そろそろ、多数決で決める理不尽さを感じてもらえましたでしょうか。
そして個人的にはこれが一番の問題だと思います。「誰も責任を取らない」。
先ほどの例で、「消費税撤廃」「医療・教育無償、年金支給倍増」「原子力発電停止」を国民投票で決めたとして。その結果、国の経済が破綻したとき。反対した人々は「だから反対したやろ!!」と憤るでしょう。賛成した人たちはどうでしょうか?「え?多数決で決めたやん。俺のせいにされても困るわ」と微塵も責任を感じないのでは?・・・そろそろ、多数決で決める危うさを感じてもらえましたでしょうか。
「国民の大多数は、思慮浅く感情的で、先見の明がなく、他者への配慮に欠け、責任を取る覚悟がありません」
もちろん私を含めてです。
そもそも、経済についても、外交についても、素人なのですから。多数の赤の他人よりも、少数の自分や自分の家族を優先するのですから。決して、「税制」「核武装」「原子力発電」「外交」など国の未来がかかった問題を国民投票で決めてはいけません。
そこで採用されたのが、「政治の専門家を選挙で選び、その専門家に国の舵取りを任せよう」という民主主義というシステムです。なんでもかんでも多数決で決めるよりはマシですが、それでも、選挙が人気投票になってしまったり、政治家が徒党を組んで腐敗したり、欠陥の多い制度です。
しかし仕方がない。思い出されるのが、英国の元首相、チャーチルの名言。
「民主主義は最悪の政治形態と言われてきた。他に試みられたあらゆる形態を除けば」
欠陥の多いこの制度でも、直接多数決よりはマシ、独裁よりはだいぶマシ。残念ながら人類はこれ以上の統治制度を見い出していません。
最近の政治家の程度の低さを嘆いておられる方、彼らは選挙で選ばれた国の代表、我々の代表です。政治家のレベルが低いのだとしたら、それは国民のレベルが低いのです。まず、我が身を振り返りましょう。自分のことを棚に上げて、人の不正を糾弾していませんか。そして何よりも、選挙に参加しましょう。民主主義に参加せず、文句だけ言っている人は、ただの野次馬、部外者に過ぎません。