誤用しかされない?『 性善説 』
- 2025.02.28
孔子の唱えた『性善説』、孟子の唱えた『性悪説』。
私は性善説派なのですが。その意味が正しく使われることは ほとんどないようです。好きな言葉の誤用が、とくに医療関係の事象に多いので。ちょっと発信しておこうと思います。
よくある誤用は、「医療に関する法律は性善説に基づいており、悪用されやすい」とか。「無人販売所なんて性善説に頼った商売が成り立つはずがない」とか。
『性善説』とは。
人はもともと善性を持って生まれてくる。成長するにつれて世の中の影響で妬みや我欲を覚え、悪事に走ってしまう者がいる。だから、善性を伸ばし、倫理に反する道には向かわないように育てていかなければならない。
・・・という考え方。
『性悪説』とは。
人はもともと悪性を持って生まれてくる。何の教育もせずに成長すると、人を傷つけ、盗んで生きていこうとする。だから、道徳を教え、法で悪事を裁き、悪性を抑えていかなくてはならない。
・・・という考え方。
つまり、どちらも先天的なことを言っているのであって、その後、善人になるか悪人になるかは別問題。『性善説』=「世の中 善人ばかりという考え方」ではありません。『性善説』でも教育を怠れば悪人ばかりになりますし、『性悪説』でもきちんと教育すれば善人ばかりになります。
ちなみに私が性善説を推すのは。「性悪説を取ったとしても。結局、教育や法律で人を善性に導こうとしてるじゃん。それ自体が善性じゃん」「もし人類が全員性悪説を備えていたら滅びてるはずじゃん」という屁理屈です。
ですが。
そもそも、『性善説』と『性悪説』、どっちが正しいかという議論に意味はありません。
1.どっちの説でも、結局やることに変わりはない。
2.『善』『悪』なんてあいまいな基準、時、場所、人、でコロコロ変わる。
3.なんで、どちらか一方だけと決めつける?どっちもいると考えた方が自然。
のですから。まぁ、ディベートのネタとして面白い程度かと・・・思っていたのですが。わたくし、この度、性善説の有用な使い道を発見しました。
実は、冒頭で「識者でも誤用の多い性善説」と一言入れるために、ネット検索したところ、いわゆる知識人と言われる方々に誤用はみられませんでした。誤用しているのは、まぁ、そういう方々でした。日常会話ならまだしも、公に、何らかの主張のために使う言葉を、よく調べもせずに語感だけで垂れ流す大らかな人々。
というわけで、自身の主張に性善説を引用している人は、残念ながら、残念なことに、残念な人ばかりのようです。つまり、
性善説は〇〇発見器として有用である
〇〇には、お好きな言葉を入れて下さい。