印象に残っているセリフ その4
- 2025.06.30
映画、漫画、インタビューなどで、今でも心に残っている台詞がいくつかあります。例えば。
進撃の巨人
正体不明の巨人に抗う人類の戦いを描いた、諫山創氏作の漫画です。圧倒的な力を持った巨人に対する絶望感と、謎や伏線に満ちた、いわゆる考察系のストーリーが秀逸です。名言が多いこの作品の中でも、特に印象に残っているのが、第25話「噛みつく」でのリヴァイ兵長のセリフ。
「 お前は間違ってない やりたきゃやれ 」
大げさに言えば、私の診療指針にまでなっているのですが。まぁ、これだけじゃ分かりませんよね。前後関係の説明を。
軍属の主人公が任務遂行中、自分を目的地に送り届けるために仲間が次々と命を落としていきます。目的もよく分からない無理な進軍のために犠牲者が増える中、主人公はこのまま仲間を見殺しにして上官の命令に従うのか、仲間を助けるために引き返すのか逡巡します。軍の規律を守るのか、個人の判断で行動するのか、映画や漫画では定番のシーンです。
最もよくあるパターンは、「個人の判断で行動し、結果、その行為は正しかった。しかし、それを認めると今後、個々の判断で行動する者が出てきかねない。大局的には、たとえ今回間違っていたとしても、今後の軍のことを考えれば上官命令に従うべきだった。主人公はその考えを受け入れ、懲罰、降格、除隊などの処分を受け入れる」というもの。
それはさておき。作中の上官であるリヴァイ兵長は、「自分の判断を信じるか、上官の判断を信じるか。結局のところ、結果は誰にも分からない。悔いが残らない方を自分で選べ」と、冒頭のセリフを投げかけます。
残念ながら、このシーンに至るまでの物語を読んでいただかないと、このセリフの重みは半分くらいしか伝わらないのですけれど。私も診察中に、これに近いことを考えています。
すなわち。
私は、人類が積み重ねてきた科学や統計学、それに基づいて築かれた医学を学んできました。ただし、科学、統計学、医学も絶対ではなく、時には間違い、時には私利私欲で歪められることもあります。それでも、過失や悪意による間違い認め、より正しくあろうとする医学を信用しています。そしてその医学に基づいて日々の診察を行っています。
しかし、もし患者さんが医学以上に信じているものがあるのならば。例えば、高血圧ガイドラインによる降圧目標よりも、○○医学博士の主張や、書籍に書いてあることを信じるならば。「お前は間違っていない。やりたきゃやれ」
例えば、癌に対する標準治療よりも、保険適用外の免疫賦活療法を信じるならば。「お前は間違ってない。やりやきゃやれ」
と心の中で唱えています。
もちろん、「医学的には・・・」と説明し、実績のある根拠に基づいた治療を受けることを勧めます。しかし、その結果は保障されません。医学には、結果の不確実性が伴います。科学的・統計学的に「良い結果をもたらす可能性が高い選択肢」を提示するだけです。
医者(医学)を信用するのか、神や書籍や有名人を信用するのか。その選択肢の結果を被るのは本人なのですから、「結局のところ結果は誰にもわからない。悔いが残らない方を自分で選べ」と思うのです。