「信じる」
- 2026.04.30
自宅にあった三省堂の国語辞書によると、「信じる」とは
1.疑わずに、真実と思い込む。
2.そのことに関する自分の判断が正しいと思い、他の考えを入れる余地が全く無いものとする。
3.間違いが無いものと認めて、その言ったことなどを重視する。
4.神や仏などの絶対的な力に心から従って、その教えの通りにしようとする。
だそうです。
ですが、現実社会では、ちょっとニュアンスが変わると考えます。すなわち、「信じる」とは「疑う」ことです。
例えば、「1+1=2と信じている」「太陽は東から昇ると信じている」とは言いません。疑いようのない事実に対して、いちいち「信じる」とは言いません。「信じる」とは、「疑った」上で、それでもそれを乗り越えることで成り立っているのです。
ですので、私は医学的統計データを信じて日常診療にあたっていますが、それが絶対に間違っていないと盲信しているわけではありません。故意や過失による間違いがあるかも。時間経過や環境変化でデータ修正が必要になるかも。しかしそれでも、現時点でもっとも信用性の高い事実であると判断し、いったん信じているのです。
実は、「疑う」のは結構しんどいことです。
顕著なものが、信じた個人や宗教にすべてを捧げてしまう事例でしょうか。盲信すれば、悩みが無くなります。何も悩まなくて済むということは、他のすべてを失うことと引き換えにできるくらい、安楽なことなのかもしれません。しかし、疑うことを放棄した人の末路は、皆さんご承知の通り。
何でもかんでも疑ってかかれ、とか、人を見たら泥棒と思え、と言っているわけではありません。しかし、「信じる」のは善いこと、「疑う」のは悪いこと、のような根も葉もないイメージに流されるべきでいはない。「疑う」のが失礼だとは思うべきではない。少なくとも「疑えない」のは対等ではない。
試しに、主治医に、「それ本当ですか?」と聞いてほしい・・・んですが、医者は偏屈が多いので、それでヘソを曲げられても困ります。なので、「それ本当ですか?」と聞いたら、どんな反応するか想像してみて下さい。もし、不機嫌になるようなら
1.その疑いを晴らす説明ができない、知識不足の医者。
2.盲信を強いる、反論を許さない、患者を見下している医者。
3.個人的な経験や、不確かな思い込みを根拠に説明している医者。
4.嘘をついている医者。
5.単に人としての器が小さい医者。
などの可能性が。自戒を込めて挙げておきます。
質問されたら、むしろ「治療のことに真剣に考えている」と歓迎すべきはずです。これは医者に限らず言えることで、疑われることを受け入れる人が、信じるに値する人でしょう。
あなたの家族、友人、同僚は、疑ったときにどんな対応をするでしょうか?
あなた自身は、人から疑われたときに、誠実に答えることができますか?
「信じられないなら、もう結構!」などという人がいたら、それはTVドラマで「証拠はあるのか!?」というセリフと同じくらい、自白そのものです。「信用すべきではない」という。
もちろん、逐一 疑ったり、根掘り葉掘り聞くのは失礼にあたります。しかし肝心なことについては、「それは本当?」と話し合える人間関係が、あるべき形だと思います。
