11/30 医療介護連携推進協議会
- 2024.11.30
11/30(金)、大東市民会館で講演会をしてきました。
30分の講演依頼でしたので、標準的には300×30字程度の原稿が必要です。今回は、講演スケジュールから、時間が押すと予想できましたので、少なめ約8000字の原稿を作成。万一時間が不足したら余談などで適当に繋ぐつもりでいました。その原稿を掲載します。
のつもりだったのですが。
会の最後に総評を求められまして。このテの研修会で常々感じていたことを、うっかり喋ってしまいました。角が立つので内緒にしてたんですけど。言っちゃったので、今回はその内容を載せておきます。
研修会には、医師、看護師、のほか、理学療法士、薬剤師、保健師などなど、複数の職種の方が参加され、それはそれは熱心に講演され、グループワークに参加していました。その経験や葛藤を聞いた私の感想は、
「みんな やりすぎ」
です。
実際、その言葉のまま、総評として言いました。
多くのスタッフが、まるで家族かそれ以上に親身に患者やその家族に寄り添い、長い時間をかけて丁寧に対応していました。例えば、独居の認知症患者の、本当に望んでいることを時間をかけて探り出し、疎遠になっていた家族との仲を取り持ち、その後も支援をつづけ、穏やかな在宅看取りに繋いだ実例の発表がありました。他の発表も素晴らしいものでした。
けれど、私の総評は、
「あなた方は、その仕事に見合った給料をもらっていないはずです」
です。これも言葉通り、実際に言いました。
例えば。
以前どこかのニュース番組で観たのですが。とある高校の教師の話。その教師は、不登校気味の生徒の家まで毎朝迎えに行き、調子が良ければ一緒に登校、登校しない日は放課後にその日の授業内容を届けていました。素晴らしい先生です。しかし、周囲の教師からみたら、どうでしょう?「え?おたくのクラスにも不登校の生徒いるの?え?朝のお迎えしてないの??何で出来ることしないの??」と言われかねません。普通、「送迎は教師の仕事じゃない!!」というのが実際じゃないでしょうか。その熱血教師の家族からみたら、どうでしょう?「もちろん交通費はもらってるよね??時間外手当も申請しているよね??」・・・いや、たぶんボランティアです。
仕事の枠を超えて、家族のように寄り添い、勤務時間を無視しして職責を果たすことは素晴らしいことかもしれません。ですが仕事の範疇を超えた奉仕には、大きな弊害があります。
1.本人の心と体が削られる。
2.家族を犠牲にする。
3.後進の参入を阻む。
第一に、本人のためになりません。今回の研修会でも、素晴らしい在宅医療や、看取りや、生活支援の発表がありましたが、どんなに一所懸命に仕事をしても給料は一緒です。まるで、どれだけ素晴らしい介護ができるか競うように尽くしておられましたが、給料としては反映されません。「やりがい搾取」に近い状態です。
また、労働時間の延長は、家族との時間を奪います。その短くなった時間でさえ、疲弊した心身の状態では平穏に過ごせないでしょう。にもかかわらず収入は増えませんので、家族の不満は募ります。
そして、私が危惧する最大の問題は、後進の参入を阻むことです。先ほどの高校教師の例でいうと、「学校の先生はそこまでしないといけない、しかも無給で」と思われたときに、教師を目指す人がどれだけ残るでしょうか。介護職でいうと「患者の排泄ケアはもちろん、疎遠な家族との引き合わせも支援。家族以上に親身に付き添い、終末期の意思決定にも関わり、最後の最期まで温かく見守る仕事です。ちなみにこの給料で」と言われたときに、どれくらいの人が介護職を選んでくれるでしょうか。
やりがいや善意に頼った職業は何らかのきっかけで衰退します。その仕事を、今後も真っ当な職種として存続させるために。プロとして仕事をするなら、報酬以上の仕事はしない覚悟が必要だと思うのです。もし、それでも人のために奉仕したいなら、それは仕事と分けて、私服に着替えてからボランティアとして奉仕していただきたい。
残念ながら、この考え方は医療業界では異端なようで。疎まれる覚悟で総評したのですが、なんだかユーモアとして解釈されてしまったようです。
今回のような熱意に溢れた研修会などに呼ばれるたび、「あぁ。在宅医療の介護職は、今後ますます人手不足で衰退していくのだろうなぁ」とその熱意の熱さに反比例して、私の心は冷めていきます。
私の予想に反して、やる気のある若者がどんどん介護職に参加し、親身に高齢者の介護を担ってくれると良いのですが。最近の世相を見るに、たとえ高給にしても難しいと思います。ましてや・・・