「一生懸命」に物申す
- 2024.10.31
「一生懸命」という言葉に対して、言いたいことが二つあります。
一つ目は、語源からすると「一所懸命」が正しい。
もともとは「武士が賜った『一か所』の領地を命がけで守り、それを生活の頼りにして生きたこと」から転じて、「一つの仕事を懸命に頑張ること」という意味で使われています。
「一生懸命」だと、「一生=ずっと頑張る」、もしくは「命をかけて頑張る」という意味になってしまいます。諸説ありますが、後者の「命をかけて頑張る」や、「いっしょ」の聞き間違いで「一生懸命」が一般化したそうです。
しかし、例えば「一生懸命、勉強する」と言った場合、「一生ずっと勉強する」あるいは「命をかけて勉強する」という意味になってしまいます。「一所懸命、勉強する」と言えば、「勉強に一点集中で頑張る」と解釈でき、適切であると思われます。
とはいえ。世の中の大半が「一生懸命」と言ってますし。語源から離れていった言葉などごまんとあるので、まぁいいです。
本題は二つ目。「一生懸命」の危うさ、です。
以前から公言している通り、私は努力型の人間ですので、様々なことを「一生懸命」頑張ってきました。しかし・・・
一生懸命に地面に穴を掘っている人物Aと、それを命令している人物Bがいます。
一見すると、重労働しているAが大変そうで、Bは楽チンに思われるかもしれません。しかし、現実世界では、Bの方がしんどいのです。
それは、Bは「考えて」「決める」必要があるからです。
どれくらいの穴を掘らせるのか。どこに掘らせるのか。丸か四角か。期間は。誰に、何人で。報酬は。道具は何を用意するのか。資金が必要。許可が必要かもしれない。天気は。掘った土砂の処分は。安全対策は。Aが怪我をしたら。他人が穴に落ちて怪我をしたら責任は。
昔、私が一生懸命やってたのは、人から命じられた仕事で、迷いも責任も少なく、肉体的にしんどくても気持ち的には楽チンでした。
人として本当にしんどいのは、自分で考えて、自分の責任で行動することです。
「一生懸命」は尊いことですが、間違って美化してしまうと、人として考えることを放棄させてしまいます。「一生懸命」は「全力疾走」と同じで、しんどいけれど案外、楽なのです。本当は、考えて、悩んで、選んで、責任を取って、自分で進路を決めてゆっくりと進む方がしんどいのです。
ですので。
「一生懸命、頑張っているのに上手くいかない」と嘆く場合、それは自分で考えての行動なのか、単に与えられた仕事を熱心にやっているだけなのか、区別する必要があります。
「一生懸命」頑張るだけなら、牛さんや馬さんでもできるのです。
私もまさしく馬車馬のように働いていた時期があり、それはそれで人生にプラスの経験でしたが、「一生懸命」なだけで、自分で考えることをサボっていたなと振り返っています。