昭和のテレビは面白かった・・・のは・・・
- 2024.04.30
最近「行き過ぎた配慮や自主規制で、テレビが面白くない」という話を耳にします。そのようなテーマのテレビドラマもありました。ただ、個人的には「確かに昭和のテレビは過激で自由で面白かった・・・でも、それは誰かの犠牲の上に成り立っていた」気がします。
おそらく、昭和の芸能界は、今とは比べ物にならないくらい、セクハラ・パワハラ・差別・暴力・反社との繋がり、が横行していたのではないでしょうか。その、深い闇を煮詰めて搾り上げて出てきた一滴の光だからこそ、人を強く引き付けたのだと思います。
同様のことは各分野で起きています。
例えば政治家。昔は、不正もするけれど国益にも貢献する大物がいましたが、今は賄賂も天下りも減り、毒にも薬にもならない凡庸な人物が増えたように思われます。
同様に、企業、学校、芸能界、競技スポーツ、相撲、宝塚。ハラスメントや暴力を排し、心身のストレスに配慮し、説明責任を果たし、公正を期し、正しくなっていくはずなのに。これから、その輝きが失われていく気がします。
日本では、個が尊重されることによって、集団としての利益が損なわれつつあるのかもしれません。和を貴ぶイメージのある日本で、個の主張が強くなる一方。中国、ロシアなど、独裁国家の方が意外と集団の利益を優先できるのは何とも皮肉に感じます。
正しい道を選んで進んでいるはずなのに。
暴力は良くない。ハラスメントは悪い。一人一人の権利を尊重する。そんな当たり前を実践しているだけなのに。なぜだか日本がどんどん弱体化していく漠然とした不安があります。
個の犠牲を強いるならば、政治システムとしては独裁の方が有利です。今後、民主主義体制が押され、独裁国家が台頭してくるようなら。個人的には非常に残念ですが、人類の統治システムとしては独裁の方が適していることになります。
もしかすると、個を尊重するには、人類は未熟な生物なのかもしれません。これから数十年にわたって日本が衰退していくとしたら。人類は、ある程度、個の犠牲を伴わないと発展できない生物なのかもしれません。
「昭和のテレビ面白かった」→「人類の未熟さゆえに日本は衰退するかも」
だいぶ論理が飛躍してしまいました。私としては珍しく悲観的な内容になってしまったので、誰かが論破してくれることを望みます。