“座右の銘”探し
- 2022.10.30
わりと子供の頃から、いつか「あなたの座右の銘はなんですか?」と聞かれたときに備え、“座右の銘”は何にしよう……と考えていました。昔々で記憶がおぼろげなのですが、たしかノーベル賞を獲った学者さんが座右の銘を問われていたのを見て、何かを成す人は座右の銘を言えないといけない、と思い込んでしまったようです。将来有名になった時のために、サインの練習をするのと同じですね。現在も模索中で、幸か不幸かまだ一度も聞かれたことはありません。
とりあえず、の座右の銘として。
小学生の頃は「一期一会」を用意していました。とくに深い意味はありません。ほかにカッコイイ熟語を知らなかっただけです。でも、いちいち、人生の一度きりの出会いと思って真摯に向き合う、なんてメンドクサくて現実的ではないと考え、やめました。
(一期一会を座右の銘にしている人、スミマセン)
中学生になると、「力なき正義は無力なり、正義なき力は暴力なり」がカッコよく思え、でもちょっと正論すぎるので「正義が勝つのではない。勝った方が正義なのである」に。さらに短くまとめて「“力”と書いて“せいぎ”と読む」になりました。厨二病の症状の一つと思われます。
(座右の銘に、力や正義を入れている人、モウシワケナイ)
高校生くらいになると、失敗や敗北、小さな挫折をたくさん経験し、「失敗は成功のもと」を実感するように。もう少しカッコイイ言い回しで「失敗は成功の過程である。成功を諦めたときに失敗になる」にしました。
その後、受験勉強が厳しくなります。その時に、特に秀でた才能がないと思っていた自分にも長所があり、それがコツコツ続けること、だと気づきます。「継続は力なり」。やっと胸をはって「座右の銘です」と言えるものを見つけた気がしました。就活でも頻用されるベタベタの銘ですけどね。
(継続は力なりを座右の銘にしている人、ゴメンナサイ)
成人してからも、座右の銘探しは続きます。例えばノーベル物理学賞を受賞した益川博士の「眼高手低」。本来は「見識は偉そうなのに、実践は出来ない」ことを指す、あまり良い意味ではないのに、「目線(目標)は高く、手元(実践)は低く(基礎から)」と独自の解釈で座右の銘にしています。「それオリジナリティがあってイイな」と真似しようとしたものの、よい言葉が思いつきませんでした。
そして開業。今まで医療以外のことに携わったことがなく、雇用や税金、法令、物品の購入、様々な業種との交渉など、社会人としての未熟さを思い知らされます。「継続は力なり」が通用しません。
そこで。昔の「失敗OK」の精神、ゴメンで済むなら許容範囲、と開き直り。「安川の安は、安請け合いの安」を座右の銘に、なんでも経験してみることにしました。医療関係も問い合わせがあれば、なるべく安請け合い。また職業柄、「節税対策の土地購入」「電気代が安くなります」「看護師お安く紹介します」「口コミ対策します」などの問い合わせがたくさん。時間がある限りなるべく話を聞くことにしています。大抵はこちらの利益にならないもので、良心的な商売とは言いづらいものですが、生きた社会勉強です。
(不動産関係者、電力関係業者、人材派遣業者、ネット関連業者、の皆様 SORRY)
さて。クリニック経営も何とか形になってきた現在。改めて、自分の長所は「継続力」であると思えます。やはり「失敗は成功の過程」であり、また「なんでもやってみる」ことの苦労と得られるものを知りました。それらを踏まえ、座右の銘を更新します。
より遠くまで征き着くのは足の速い者ではない。歩き続ける者である。
しばらくは、これで行きます。
方向が見当違いだったり、遠回りしているかもしれませんが。
ふと振り返った時に、自分の歩いた道のりが感慨深いくらいの距離になっていたら、人生、それはそれで充足しているような気がします。目的地まで真っ直ぐ最短距離でも、振り返って出発地点が見ているようでは味気ないと思いませんか。
……座右の銘、誰か聞いてくれませんかね。