特集 もしものときの人生会議 ボツ原稿
- 2020.11.01
「没になるだろう。でも“書いて欲しいだろう”原稿だけでなく、自分の言いたいことも書いてみよう」という気持ちで書いた原稿です。なぜ没が予想できるかと言えば、この原稿を読んで不快な思いをする人がいる可能性があるからです。このご時世、全方位に無難な表現を強いられます。しかし、そんな無害な物言いでは伝わらないこともあると思うのです。
もし炎上したら、サクっと削除します。
(不採用原稿)
多くの「恐らく本人は望んでいない医療」を受けている患者さん、その介護をする家族、を見てきました。その責任の大半は医療側にあると考えています。なので医者の意識を変えたいのですが、思いのほか医者は医者を動かせませんでした。医者を動かせるのは患者であることに気付き、患者側に働きかけることにしました。
今回ACPについての原稿を依頼され、無難な一問一答形式のものも書いたのですが。残念ながら私の文才では、暇つぶしにしかならないだろう内容になってしまいました。そこで、人の心を動かすためには、と考え直し、いわゆる炎上覚悟で煽情的な原稿も書きました。この原稿が採用された際は、文責の一切は私個人に帰することを明言しておきます。
さて。
あたな自身が年老いて口から食べられなくなった時、鼻から管を入れたり、胃に穴を開けたりして栄養を摂りたいと考えるでしょうか?
あなた自身が年老いて家族の顔と名前も分からなくなった状態で、高血圧の治療を受けたり、強制的に口に食べ物を入れられたりして、長生きしたいと思うでしょうか?
あなた自身が病気で意識もなく寝たきりになった場合、回復の見込みがなくても、家族に24時間365日介護させることを望むでしょうか?
YESなら全く問題ないのです。家族を延命してください。自身もされてください。私も迷うことなく全力で治療できます。
しかし、もしNOならば。
自分の希望をハッキリ言っておかないと。されますよ。延命。
もしあなたの気持ちがNOならば。あなたの親御さんもNOと言う人ではありませんでしたか。
であるなら。あなたのやっていることは本当に親孝行ですか。あなたの親御さんは、そのような状態でも長生きを望む人でしたか。自我もないのに延々と家族に介護させたくない、そういう人ではありませんでしたか。
自分が同じ状態になった時に、最大限の治療を望みますか。家族に介護させ続けることを望みますか。
私はイヤなのです。自我のない状態で、勝手に治療されて延命して欲しくない。意思のない私のために、家族の時間や体力やお金を使って欲しくない。長年の介護で溜め息をつかれるくらいなら、さっさと鬼籍に入って、たまに思い出して泣いたり笑ったりしてくれた方がよっぽどいい。
このことは自分の両親とも話し合いました。父母とも同意見で、本人が望んだものではない治療、本人の意思が確認できない延命治療、は一切しない事を約束しました。もちろん苦痛を取り除く治療などは例外です。また、妻と中高生の娘たちにも自分の考えは伝えてあります。
このように、私は自分と自分の家族のためにACPを活用しています。せっかくだから、同じ考えの人もいるでしょうし、と同好の士を募るような気分でACPの啓蒙活動に参加しています。
家族の死について話すことは「縁起でもない」と敬遠されがちです。しかし、事故や病気に備えて保険を検討すること、地震や台風に備えて対策を立てておくこと、は縁起の悪いことでしょうか。むしろ死は事故や災害よりも100%確実に起こることなのに。
望まれない延命や蘇生処置は、誰のためにもなりません。にも関わらず、日常的に行われています。大切な問題から目を背け、先送りしてきた結果です。
あなたは先送りせず、この文章を読んだ今日この日にACPを始めてください。残念ながら今日動けない人は明日も明後日も動きません。動かない人は明日、目が覚める頃にはACPのことなど忘れているでしょう。
たった一人でも、この原稿を読んでACPを始めてくれる人がいてくれれば、と切に願います。