人生の転換期 その1
- 2021.08.15
人生の道筋の向きが音を立てて変わる瞬間があります。就職や結婚などの外部からのイベントではなく、もっと内面的な変化です。皆さんは、カタンと音を立てて角度が変わった瞬間がありますか。私は中学1年生の冬にありました。
当時の私は今以上に融通の利かない生真面目な性格でした。マンガなんかで学級委員長や風紀委員をやっていそうな。で、中学高校と学生寮に入っておりまして。その寮生活では朝の清掃がありまして。当然いつもは清掃をキチンとこなしていたのですが。ある朝、ウトウトと二度寝をしてしまった私は掃除当番をサボってしまったのです。
それが寮長さんに見つかり、注意されてしまいました。「いつも真面目な安川が掃除をサボるとは何事だ」と。その時…なんということでしょう。いつもサボっているA君が、その日に限って掃除に参加していたのです。そして寮長さんに「お。Aは掃除してるのか。これからもその調子でな」と褒められたのです。
衝撃的な事件でした。ちょっと大袈裟な表現ですけど、「365日中364日掃除している私が叱られて、365日中1日だけ掃除したAが褒められる」なんて。
まぁ、どこにでもありそうな日常的なやり取りです。大人になった今では寮長さんの言動も理解できます。しかし、当時の私にとっては、価値観がガラガラと崩れるような出来事で、膝の力が抜けてしゃがみ込んでしまいそうでした。怒りや悲しみというよりは、驚きに近かったと思います。
その日は一日、悶々として過ごし、学校が終わって寮に帰るなり布団に潜り込んで悩み続けました。他人目線で考えられれば理解もできたのですが、なにぶん中学一年生だったもので。「なぜ、真面目(な自分)が叱られて、不真面目(なA)が褒めらるのか」という単純構造でその理由を探してしまい、ついには「真面目でいることは実は不利なのではないか」とまで考え始めてしまいました。
そして、その瞬間はやって来ました。
布団の中に頭まですっぽり潜った状態で、オナラをしてしまったのです。一日ストレスをかけた腸から発せられたガスの臭撃はなかなか強烈で。思わず……そのバカバカしさにククククッ、と笑ってしまいました。そして布団から頭を出し、外の新鮮な空気を吸い込んだ瞬間に、“パキンッ”と音を立てて生き方が変わった気がしました。
「なーにを一日悩んでいたのだろう。屁一発で吹き飛んでしまうようなしょうもないことで」
気づいてしまったのです。私は他人から評価されたいがために真面目を演じていたことに。いや、褒められたくて真面目に生きることは間違いではありません。私もそのまま演じ続けるという選択肢もありました。しかし、真面目を損得で考え始めた私は、A君が褒められていることを受け入れられない私は、演技続行は無理だと気付いたのです。
その日から真面目を辞めました。掃除も適当にサボるようになり、別に不良になったわけではなく、いい感じに肩の力が抜けたと思います。私にとっては大転換でしたが、周囲はあまり気にしていなかったようです。そこで、他人が私をそれほど見ていないことにも気づきました。例えば私が道端でスッ転んで恥ずかしがるのは自意識過剰だということです。世間の人々は、私に注目などなしていないのですから。見て驚いた数秒後には、私のことなど忘れているでしょう。他人の評価を気にすべき状況と、そうでない場合を区別したほうが楽だと考えるようになりました。
記憶に残るような大転換だったので。ふと、あの時オナラをしなかったらどうなっていただろう、と考えることがあります。アイザック・ニュートンがリンゴの落ちる瞬間を見なかったらどうなっていたのか、みたいに。(ニュートンのリンゴは諸説あり)
実は、その後も悩み悩んだときは布団に潜り込んでオナラをするという解決方法を何度か実践しました。オナラの調整が難点ですが、その効能は折り紙つきです。もし思春期の悩みなどで悶々としている方がいたら、この方法を試してみて下さい。その臭撃に勝る悩みなど、そうそうあるものではありません。